雪本剛章さんは、Beauty Workout Jam(ビューティ・ワークアウト・ジャム)所属のフィットネス・インストラクター(運動指導員)です。ビューティ・ワークアウト・ジャムでは「健導師(けんどうし)」という肩書で活動をしてもらっています。雪本さんは大学卒業後、民間企業のサラリーマンを10年以上経験しました。なぜ脱サラしてフリーのインストラクターになったのか。その背景には、新卒入社後に赴任した石川県金沢市での「超不健康な生活」があります。今回、ビューティ・ワークアウト・ジャム広報部では、雪本さんが今の生活の原点となっている「壮絶な20代」を振り返ってもらいました。(Beauty Workout Jam広報チーム)

インストラクターになる前の雪本剛章さんは、体重が今より15キロ多かった。
▲インストラクターになる前の雪本剛章さんは、体重が今より15キロ多かった。

超不健康な20代の会社員生活を振り返る

以下、雪本インストラクター談

「昭和」気質そのものだったバブル期

「バブル時代の若者は甘えていた」なんて言う人がいますが、それは大きな間違いです。あの頃は、まだ「昭和」の体育会系気質がモロに色濃く残っていました。理不尽な「しごき」も当たり前にありましたし、社会人になったばかりの私は、徹底的に鍛えられて本当に大変な思いをしました。

今は「過保護」時代

そういう意味では、今の若い方々を見ていると、少し甘やかされているのではないかと感じてしまいます。社会全体が過保護なほどソフトになり、何かにつけて「〇〇ハラスメント」と名前を付けて守ろうとしますよね。

社会保険などの「控除」があまりに気にならなかった

確かに、当時(1980年代後半から1990年代初頭)は経済的に恵まれていました。今の若い方々は、初任給こそ高くても、将来への不安が常に漂っていますし、社会保険の負担も重くなっています。我々の時代は、社会保険などの「控除」があまりに気にならない時代でした。その点は同情しますが、一方で、今の世の中は昔に比べてずっと便利になりました。何よりも、企業社会全体が「若者に優しい」風土になっています。

新人研修を経て、最初の赴任地・金沢に

いずれにせよ、私が社会人になったのはバブル末期が過ぎた頃でした。入社後の2週間の新入社員研修を経て、最初の赴任地・金沢(石川県)に配属されました。そこでの5年間は、本当に過酷なものでした。

不健康な生活がスタート

社会人1年目の私は、お世辞にも健康的とは言えませんでした。まずは仕事のイロハを覚えること。そして日々の業務をこなすこと。それだけで精一杯で、自分を振り返る余裕など微塵もありませんでした。

会社に泊まり込み

職場には怖い上司がいて、いつも怒鳴られていました。ストレスは常にマックス状態で、家にも帰れず会社によく泊まり込んでいたものです。

食事は噛まずにのみ込む

そのストレスを解消するために、お酒を浴びるように飲み、ひどい「やけ食い」をしていました。健康についての知識も全くなく、食事をよく噛んで味わう習慣もありません。胃袋に流し込むように食べていました。

「てんやもん」ばかり

食べていたものといえば、ラーメン、カレー、かつ丼。いわゆる「てんやもん」ばかりです。野菜らしいものといえば、たまに行くファミレスで付け合わせのほうれん草を食べるくらいでしたね。

片町で短時間のやけ酒

夜になれば金沢の片町で、短時間に大量に酒を飲んでいました。ですが、そこに「安らぎ」があったわけではありません。休みなんて、全くと言っていいほどなかったのですから。土日もずっと働いていました。

20代前半にして下腹ぽっこり

気がつけば、体はみるみる太り、顔はむくんで、20代前半にして下腹がぽっこりと出てしまいました。あの締まりのない自分の姿……。

だから今の私がある

でも、あのどん底の運動不足と不摂生な日々があったからこそ、今の私があるのだと思っています。あの時の自分があるからこそ、今の「フィットネス」の重要性が、身に染みて理解できるのです。